2011年11月16日水曜日

おだわら環境志民フォーラムの出演者紹介⑥

11月19日(土)、20日(日)の両日、小田原市生涯学習センターけやきで開催する標記フォーラムにご出演いただく出演者・パネリストの方々の紹介です。

20日(日)パネルディスカッションⅡ「小田原の豊かな海のために」のパネリストの皆さんを紹介します。
石戸谷博範さん


神奈川県水産技術センター相模湾試験場
専門研究員
 







 定置網の防災対策を実践。今から15年程前までは、急潮という速い流れで定置網が、毎年、数件も破壊されていた。被害額は億単位にもなった。漁業者の年齢は高く、65歳以上がほとんどで、「あとこの漁場は5年ももたねーよ。」と言うさびしい言葉を聴く日々であった。  
これをなんとかしなければと小田原の漁師さんと小田原市、神奈川県が「モデル定置網」を作って、急潮にも強く、魚も獲れて、新鮮な魚で地域を活性化しようと計画を練り、取り組んだ。1998年3月、苦心の末、米神漁場でかつてのブリ定置網時代と同じ規模の80間箱網を備えた「モデル網」が操業を開始した。その後、漁獲は安定し、数度に及ぶ急潮の来襲にも耐え、若い漁業者も定着し、名実ともに、神奈川の「モデル網」になった。
 一方、小田原は、昭和30年代まで日本有数のブリ漁獲量を記録していた。定置網が疲弊していた15年前は、「あんな網では、ブリは獲れない。」との陰口を甘受していたが、今日では各漁場ともに、いつでもブリを獲れる良い網になっている。しかし、なぜ60万本も獲れたブリは、100~1000分の一の漁になってしまったままのか。
 今でも、熊野灘や室戸、日本海の富山湾、丹後半島では、10~20万本のぶりに恵まれている。それらの漁場に足を運び、相模湾と比べると、そこには、自然環境の違いが見えてくる。背後の山々の緑、自然に近い河川、明かりの少ない静かな海岸線等である。科学的に何が原因かを判定することは、容易ではない。しかし、多くの漁師さんから、「昔は河口近くに行けば、何か漁があったのに、今は、逆に河口に行くと何も漁が無くなる。」と言う嘆きを聞く。昨年の台風9号や今年の集中豪雨後の河口や海底の状態などを見ていると、河川等陸域の変化を心配した先人の漁師さん達の危惧が長い年月をかけて具体化してきているのではと考える。それを、いち早く感知したのが沿岸に寄り添うように回遊する「ブリ」なのではないか。

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